奥の歴史

兵庫県神崎郡市川町、奥(おく)。
千五百年前の古墳がふたつ眠る、市川西岸の村。
秋には獅子が舞い納める、古墳の丘。

一文字の名

奥——ただ一文字の地名です。その由来を記した文書は見つかっていません。古代の神崎郡が市川を境に東西へ分かれたとき、このあたりは西側の神西郡になりました。奥は、その神西郡の谷あいの村です。

千五百年前から——ふたつの古墳

奥には古墳がふたつあります。丘陵のいちばん高いところ(標高214m)に築かれた観音寺山古墳は兵庫県指定の史跡。長さ6メートルの竪穴式石室をもつ、このあたりの古い首長の墓とみられます。もうひとつの倉谷古墳は5世紀初頭の円墳で、市川町指定の史跡。石室からは鉄刀や鉄剣が出土し、調査ののち公園として整備されました。文字の記録が始まるはるか前から、この村の丘には人が眠っています。

三つの宮

小さな村に、お宮が三つあります。実りを司る大歳神をまつる大歳神社、玉依姫命をまつる姫大神社、菅原道真をまつる天神社——例祭はそろって10月17日。甘地エリアの村々は、みな同じ日に秋祭りを迎えます。

獅子の舞い納め

毎年10月、体育の日の前日の日曜日。県指定重要無形民俗文化財・甘地の獅子舞が、この奥の大歳神社に舞い込みます。9月の八幡神社にはじまった秋の舞は、奥の宮で舞い納め——甘地エリアの秋は、この村で締めくくられるのです。

明治22年から、いま

明治22年(1889年)、奥は甘地ほか6か村とともに甘地村となり、昭和30年(1955年)の合併で市川町の大字になりました。平成3年(1991年)にはほ場整備が完成。いまは朝8時からひらくカフェや、古民家を一棟ごと貸す宿——古墳の丘のふもとに、あたらしい暮らしの音が加わっています。